コラム

東北大学災害科学国際研究所 教授 小野 裕一氏

東北大学災害科学国際研究所 教授 小野 裕一氏

東北大学災害科学国際研究所 教授 小野 裕一氏

1967年生まれ。地理学博士。専門は気候学、国際防災政策。2001年、米国オハイオ州立ケント大大学院地理学博士課程を修了。世界気象機関、国連国際防災戦略事務局、国連アジア太平洋経済社会委員会で国際防災政策立案に従事。2012年11月より現職。災害統計グローバルセンター長を兼務。2017年11月に仙台で開催の「第1回世界防災フォーラム」の事務局長を務める。2018年に一般財団法人「世界防災フォーラム」を設立し、代表理事に就任。

防災力強化に向けて災害科学と世界をつなぐ

《年表》東日本大震災後の仙台発・防災への取り組み

東日本大震災以降、国際的な防災力強化に向けた取り組みが活発だ。
2012年には東北大学に、災害科学の進化と実践的防災学の構築を目指す「災害科学国際研究所」が設立された。2015年には「第3回国連防災世界会議」が仙台で開催され、成果文書として「仙台防災枠組」が採択された。
また、同年には仙台防災枠組の達成状況のモニタリング支援を目的として災害科学国際研究所内に「災害統計グローバルセンター」が設置された。さらに、2017年には仙台防災枠組を推進することを目的に市民参加型の「第1回世界防災フォーラム※」が、2019年にはその第2回目が開催された。

長年、国際防災政策の立案に携わり、これら東北の一連の動きの中でも大きな役割を果たした東北大学災害科学国際研究所教授の小野裕一氏に、それぞれの取り組みの狙いや意義、日本の防災力強化の課題などについて聞いた。

※DBJは世界防災フォーラムの国際諮問委員会、国内実行委員会に参加しています。

《年表》東日本大震災後の仙台発・防災への取り組み

震災復興や防災の役に立ちたい

――災害科学国際研究所の設立経緯・目的からお聞かせください。

歴史的に宮城県沖では約38年周期で大地震が起きることが分かっていました。それに対し東北大学では1990年に「災害制御研究センター」を設立し、地震、津波の専門家だけでなく、歴史学、医学など複数の学問的立場の人を集めて、低頻度の大地震や津波にいかに備えるかという研究を行っていました。

ところが2011年3月、未曾有の東日本大震災が起きてしまった。この大震災は、地震・津波被害を超えて社会の隅々にまで多大な影響を与えたということで、これでは従来の学問領域では対応し切れない。これからの復興を進めるにあたり、さらに多様な学問領域の人たちを集めて実践的な防災研究所を作ろうということになり、2012年4月に災害科学国際研究所(以下、「災害研」)が設立されました。設立に際して、文系、理系、医学系など37分野の研究者が集まりました。目指したのは、様々な研究分野を融合することから生まれる新しい防災の知見を学際的に体系化して社会に発信していくことです。

災害統計グローバルセンター仕組み図

国際機関での豊富な経験を活かす

――小野先生は、どのような経緯で災害研に着任されたのですか。

災害統計グローバルセンター仕組み図

災害研の前は3つの国際機関に勤めていました。世界気象機関(WMO)、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)です。

もともと私は米国で竜巻のメカニズムや早期警報システムの研究をしていたのですが、WMOに就職してからも、理系的な習性と若気の至りで、竜巻のメカニズムさえ分かれば防災問題は解決できると考えていました。でも、実際にはメカニズムが分かって警報が出せても安全な場所がないと人は被災しますし、人によって様々な行動パターンがあるわけで、その部分には文系的・人間的な側面が入ってくる。やがてメカニズムの解明だけでは限界があると悟り、文系的、人間的な部分や政策的な部分にも興味を持つようになりました。

そこで2年後、国連で防災関連機関を束ねる国連国際防災戦略事務局(UNISDR)に志願し、異動しました。ちょうど第2回目の国連防災世界会議(WCDR)が2005年1月に神戸で行われることが決まっており、赴任当時、日本人は私1人だけだったのでWCDRの事務局の仕事を手伝うことになり、日本政府との交渉に参加させてもらうなど会議の準備・運営にあたりました。その中で国際的な防災政策の策定プロセスを経験し、これが非常に勉強になりました。その後ESCAPに移り、防災課長としてアジア太平洋地域の約60ヶ国の防災主管官庁の担当者などと一緒に地域レベルの防災政策立案などの仕事を3年間担当しましたが、その中で東日本大震災が起きたのです。

震災後、東北大学に新しく災害科学国際研究所が設立されるという話や、2015年に仙台で第3回国連防災世界会議が行われるという情報が入り、東北大学からお声がけを頂いて2012年11月に着任したという次第です。私自身20年近く海外にいましたが、一度帰国し、震災復興や防災のお役に立ちたいと考えてのことでした。

災害研の研究成果と社会・国際間をつなぐ

――災害研で小野先生が所属されている社会連携オフィスとは、どのような役割を果たしているのですか。

震災復興や防災の知見を世界中に伝えていくために、災害研の研究者はその成果を学術誌に発表するのですが、それだと学者しか読みません。問題はそれをどうやって広く国内外に伝えていくかです。

たとえば研究者が自分の知見を国際会議で発表するときには、きちんと戦略を立てて臨まないと、ただ1回のプレゼンで全て伝わるなどということはあり得ません。あるいは何か決め事をする会議でも、それをリードする力がある研究者は少ない。議論を望ましい方向へ誘導し、一番重要なことを最終文書に入れて、さらに大きなステップにつなげていくといった〝大局観を持って手を打つ〟ということを、研究者はあまり考えないのです。そこで災害研の成果と社会、国際間をつないでいく、言わば〝つなぎ役〟が私の仕事となるわけです。

仙台からの防災発信に大きな役割を果たす

――災害研ではどのようなことに取り組まれたのでしょうか。

災害研では主に3つの成果があったと思います。最初の仕事は、第3回国連防災世界会議の誘致と実行の企画でした。2005年の第2回会議では「兵庫行動枠組」という世界防災の指針が採択されており、これを受けて第3回会議で何を決めていくべきか関係者間で知恵を出し合い、意見を取りまとめるのです。新しい指針は各国の防災行政に使われるので非常に重要な意味を持ちます。そこで会議の1年ぐらい前からUNISDRの防災専門家と本音の議論を重ねました。

その中で私が強く主張したのが目標設定の重要性です。それまで行動の枠組みはあっても目標がなかったので、今回は目標を明確に設定すべきであると。単純なもので良いので死者数と経済的被害、この2つの数値を削減する目標を設定しようと訴えました。時に「今、この目標も掲げられないようでは、この事務局の価値はありませんよ」と語気を強めた記憶もあります(笑)。でも結果的には数値目標は設定できませんでした。ただ形容詞として「大幅に削減する」と入ったので、まずはそれが大きな前進だったと思っています。

第3回国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組では、先ほどの2つの目標に5つの目標が加えられて合計7つのグローバルターゲットが設定され、それをモニタリングしていくことが決まりました。これが第1の成果です。

第2の成果は「災害統計グローバルセンター」の設置です。グローバルターゲットを達成するにはモニタリングが不可欠ですが、各国の状況を確認すると、基盤となる災害被害統計システムの構築が不十分であることが分かりました。そこで国連の関係者も呼んで、災害被害統計が各国に整備されていないと、どこでどういう災害で何人亡くなって、どのくらいの被害が出たかが把握できず防災政策も立てられないので、その仕組みを作ろうと話し合いました。その結果、第3回国連防災世界会議から1ヶ月後の2015年4月に災害研内に災害統計グローバルセンターを設立するに至りました。

3つ目は「世界防災フォーラム」の開催です。第3回国連防災世界会議に延べ15万人に来てもらって「仙台」の名を冠した仙台防災枠組ができましたが、それだけで終わっては非常にもったいない、次世代につながる何かを被災地に残そうということで世界防災フォーラムを考えたのです。その目的は、多様な防災関係者や市民、メディアが集まって多くの知恵を集約・共有し、仙台防災枠組の実施を促進するプラットフォームとすることでした。1回目は2017年、2回目を2019年に開催して、本体会議の参加者はそれぞれ約1000人。いずれも20〜30%が海外からの参加者でした。

なおフォーラムの提案者は私だったので、第1回目は東北大学が運営にあたりましたが、2回目からは独立し、2018年に一般財団法人化して「世界防災フォーラム」を設立。第2回目以降の事務局として運営にあたることになりました。このフォーラムが、多くの知恵を集め、新たな連携や活動の「始まりの場」となることを目指したいと思っています。

防災の議論の場に新しい風を

――2021年は震災から10年の節目の年ですが、東北からの発信という点において、何かお考えでしょうか。

もともと2021年11月、第3回目の世界防災フォーラムの開催を予定していましたが、コロナ禍で海外からの参加が難しいため、残念ですが1年延期することにしました。ただ2021年は節目の年でもあるので、何らかのかたちで現在の東北の姿を発信したいと思いました。コロナ対策を万全にして、福島県いわき市から青森県八戸市までの太平洋沿岸を歩きながら、復興に貢献された人や団体の活動を世界と共有するイベント「World Bosai Walk Tohoku +10」を9〜10月に実施します。「+10」は10年後という意味で、東北で頑張っている方の活動を準リアルタイムでご覧頂き、少しでも多くの方に知ってもらい、応援していただきたいと思っています。

――総括的な観点で防災力強化のための課題と対策についてお聞かせください。

課題は2つあります。1つは不確定な事象、何百年に1回の低頻度・大規模災害に対して、我々は本当に備えるべきなのか、備えるならどこまで備えれば良いかという問題です。今後、首都直下型地震や南海トラフ地震が高い確率で起きると言われていますが、いつ起きるか分からない不確定なことに対していかに備えるかという対策は、実は今、あまりできていません。またスロースリップ現象(注)のように震源域で何らかの異常があると分かっても、それを発表したときに人々はどう動くのか。こういったことに対する準備も不十分です。これが1つの課題です。

もう1つは危機管理の視点からで、「絶対に安全」は存在しない、だからこそ、システムは必ずおかしくなる、という前提で防災対策を講じる必要があることです。では具体的にどうするか。私なりに言うと、議論の場に外国人を入れるのが一番良い。日本人ばかりの、特に中高年の男性ばかりの議論は効率を重視し無駄がありませんが一元的で面白さもない。こうすべき、こうでなければいけないと硬直的になりがちで、また、すごく真面目なので絶対に間違いのない解を求めがちです。でもそんなものは存在しないし、人は間違いを起こすものです。できないことをできるとせずに、間違いは起きるものとして考えていかなければいけません。「裸の王様」が裸だと指摘したのは常識にとらわれない子供でした。常識にとらわれない発想で防災を考えることが重要です。その意味で、外国人を入れて話し合うと、より柔軟なアイデアが出てくるのです。

外国人の他にも、若い人、女性など新しい風をどんどん入れて斬新なアイデアを実現させていく。力を持つ一部の大人が物事を決めていく時代、均質的な組織の時代はもう終わっているので、そこを変えないといけません。まず組織を先導する人が率先してやる。私自身、中高年の男性ですので、常にそういうマインドでいたいと思っています。世界防災フォーラムを行う意義も実はそこにあります。

――今後のご活躍に期待しています。本日は有り難うございました。

(注)スロースリップ現象 : 岩盤の滑り(スリップ)が、普通の地震よりも極めて遅い速度で発生する滑り現象。

広報誌「季刊DBJ No.47」のインタビューをとりまとめたものです。
https://www.dbj.jp/co/info/quarterly.html
※役職等は対談当時のものです。